これからの君と話をしよう

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私が「意識の高い学生(笑)」を嫌う理由

 とうとうこの話題を書くことにしちゃいました、「意識の高い学生」。

 このトピックに関しては思うところがかなりあるので、小出しにしていこうとは思っているのですが。 とりあえず、「意識の高い学生」とはなんたるかという内容に関してはここでは割愛させて頂きます。その定義は今回あまり重要じゃないのでw (というか、このエントリを書き終えたあとに改めて読み返してみると、あんまり関係ないような気もします……)

 

 私はあまり「意識の高い学生(笑)」と揶揄するような言い回しは好きではないのですが、それでも正直、「どうなの?」と思うような言動をされる方はたまにいます。

 単に、見ていて痛々しいだけの人なら実害はありませんし、私自身もいろいろとイタい行動をしてしまうことがあるので、基本的には「(笑)」とは言いたくないのですが……、

「みんな社会問題に興味を持とうよ! どうして今の学生は問題意識がないの? 積極的に行動も起こしていこう!」 みたいな主張をする人は、基本的にはニガテだったりします。

 なんていうか、全体主義になりかねないと思うんですよね、このテの主張って。 や、啓発することそのものは悪くないと思うんです。

「やらない善よりやる偽善」と無邪気に言いたくはありませんが、机上であれこれ考えるだけじゃなく、現場に出るコトはやっぱり大切だと思いますし、社会問題について若い世代が考え、解決方法を探っていくことも喜ばしいことだとは思います。 (よく誤解されるのですが、私は基本的にはそのような活動に積極的な人には憧れますし、そういう学生さんのことも応援しています。アンチ意識高い系ではないです)

 

 でも、学生全員が全員、そうあるべきだとは思いません。

 大学卒業後、ごく普通の社会人として仕事をすることや、税金を納めることだって立派に社会の役に立つことなわけですし。

 学生時代、学部の専門分野の勉強をして学ぶ力を身につけたり、バイトやサークル、部活で人間関係を豊かなものにしておくことも大事なことでしょう。(むしろ、即物的な実用性ばかりを追い求めて、短期的には結果が表れにくいものをないがしろにする姿勢はあまりすきじゃないです)

 

 それに、私は大学時代、一時期かなり病んでいたことがあったのですが、「問題意識持たなきゃ! 僕らがなんとかしなきゃ!」と常日頃から言っている人たちって、大きなわかりやすい社会問題には強い関心があっても、たいして私の問題には関心持ってくれないんですよね……。(まぁ、これは私の甘え・他力本願なだけだと言ってしまえばそれまでな部分もあるのですが……)

 そういう人たちは何もしてくれない。むしろ、「ポジティブであるべき!」と考えている人たちは、ネガティブな発言を繰り返す私を忌み嫌う場合さえある。

 そして、「大丈夫?」「心配です」「相談に乗るよ」という連絡をくれた人の多くは、性的な下心目的と思われる行動をとってきました……(食事などに行っても、ほとんどの人が家やホテルに誘ってきたり、スキンシップをしてきたり)。

 だからなんていうか、私はあまり「社会問題」に関心が強いという態度を全面に出している人はどこか疑ってしまうんですよね、自分含めw (むしろ私の問題の場合、「君とはそれほど仲良くないし別に心配でもないけど、何があったのか野次馬的好奇心で気になる。教えて」と正直に言ってきた人のほうが好感が持てましたw) いや、「疑ってしまう」という表現は適切ではないですね。「いざというときに頼れる人ではない」と思っている……といったほうが適切かもしれません。

 それに、下心抜きで私の問題に関心を持ってくれる人がいても、やっぱりどこか全面的には信頼できない部分があって。

 私にとっては、大学を卒業してからも、就職してからも、今後の人生にずっとずっと関わっていかなきゃいけない、死ぬまでついてまわる問題で。

 でも、ほかの人にとってはいつでも「投げ出せる」し、いつでも「思い出す」ことができる問題なんですよね。

 私は「思い出す」ことなんてできませんよ。ずっとついてまわっている問題なんですから……。

 いつでも「投げ出せて」「忘れられる」人相手には、なかなか頼れそうにはありません。

 実際、力になりたいと言っていた人から、やがて「君の行動は理解できない」と言われ、中途半端に傷を抉られたまま見捨てられてしまった(←こういう言い方良くないとは思いますが)こともありました……。

 そんなふうになってしまうの、誰にとっても良くないことだと思うんです。

 だから、先日聴いた社会起業家さんのトークショーで、 「どんなに今の仕事がしんどくても、発展途上国で苦しんでいる子どもたちを前にして何もできなかったあの悔しさに比べたら、今はまったく辛くない」ということをおっしゃっていたのを聴いたとき、そこまで思って下さっている方がいる発展途上国の子どもたちが、ある意味ですごく羨ましかったです(不謹慎かもしれませんが)。

 その人は、“問題意識を持たなきゃいけないから”起業したわけではなくって、「どうにかしたい、何もせずにはいられない!」という思いに突き動かされて、「そうせざるを得なかった」から起業することになったんだ……ということを感じました。

 社会問題をどうにかしたいと思っていて、深く関わっていくつもりなら、これくらいの強い思いに駆られた人が行動すべきなんだと思います。

 や、もちろん、気軽に参加できるボランティアや、問題に関心を持ってもらうためのきっかけ作りイベントも一定数あったほうがいいとは思いますし、私もそのテのイベントにはお世話になりました。社会問題=仰々しい、みたいに扱う必要もないとは思います。思うんですけどね、

 

 ……でも、「みんな関心を持つべき!」みたいな風潮は、やっぱり正直、怖い。

 問題を抱えている人たちは、意識の高い学生(笑)たちの、大人のオモチャじゃないんです。

「大事な問題だと思っているから」「私たちが何とかしなきゃ」なんていう耳触りのいい言葉で欲望を包んで、自己肯定感や承認欲求を満たすための存在として扱わないで欲しい。

 そう思ってしまうんです。自分のことじゃないにしても。